★No-014
【 神前で交わす「三三九度」の杯の由来は????? 】
若者の間では教会でのおしゃれな挙式が主流だが、神前での厳かな挙式の人気,も根強
い。
神前結婚式では、「三三九度(三三九献)」の献杯の儀式を行う。
平安時代の貴族社会では、男性が妻となる女性の家に通いはじめて3日目の夜に2人が
寝具の上で杯を交わし、一つの餅を分けて食べるべる「三日夜の餅」という儀式を行って
いた。
「三三九度」はこれと同じで、2人の契りを固めるために、祭りの時には神の供え物となる
貴重な酒を飲んだことにはじまる。
3股重ねの杯を使って、一つの杯で3度ずつ、合計9杯の酒をすすめることから「三三九
度」と呼ばれるが、なぜ、このような方法が生まれたのだろうか。
これも、「七五三」や「七福神」と同じように、中国で「陽数(奇数)」が吉数(おめでたい数)
として重んじられていたことを受けて、複数としては3が最小の「陽数」であり、3は「満つ」
「充つ」にも通じ、それを3回ずっくり返せばめでたさがさらに重なるから、という理由による
ものだ。
神前での結婚式は1900一明治(明治33)年、東京大神宮での大正天皇の結婚式が最初
で、「三三九度」の杯を交わし神官が祝福した。
国家神道政策を進める明治政府の演出ともいわれている。
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★No-013
【 なぜエイプリル・フールは4月1日なの????? 】
4月1日は、この日(の午前中)だけ、ウソをついて他人をかつぐことが許されるエイプリル・
フール。
正式には、「April(またはAll)Fools’ Day」この日にかつがれた人のことを「April Fool」と
いい、「4月馬鹿」「万愚説」(ばんぐせつ)などと訳されている。
なぜ、4月1日になったのかについては諸説ある。
もっとも一般的なのは、フランス起源とする説。
フランスではもともと新年は3月25日にはじまり、そのお祝いは4月1日まで続いていた。
この最終日に贈り物を交換する習慣があった。
ところが、1564年にシャルル9世が暦法を改めて新年のスタートを1月1日にしたが、改暦
に反対する人や変更を知らない人は、4月1日にでたらめな贈り物をしたりふざけて新年の
お祝いをしていた。
そうした人たちを少しからかってやろうということで、この風習がはじまったといわれてい
る。
2002年の4月1日。
エイプリル・フールのこの日、カナダのあるラジオ局のDJが、クレティエン首相の声色を使
ってマイクロソフト社のビル・ゲイツ会長とのコンタクトを試みたところ、いとも簡単に電話
がつながったという。
後になって、かつがれたと知ったゲイツ会長は、「この電話がコレクトコールでなくてよかっ
た」とコメント。
目くじらたてずに、このウィットに富んだ切り返しはさすがである。 |
★No-012
【 なぜ「絶対零度」は、マイナス273.15℃なの???? 】
世の中でもっとも低い温度のことを「絶対零度」といい、マイナス273.15℃です。
もっともっと低い温度があっていいはずだが、なぜこんな半端な数なのでしょう?
「絶対零度」を推論したのは、ケルビンというイギリスの科学者である。
「気体の体積は、一定の圧力のもとでは、温度が1℃上下するごとに、O℃での体積の273
分の1ずつ増減する」というフランスの物理学者シャルルが発見した「シャルルの法則」に
基づいて、彼は次のような仮説を立てた。
「もし、温度が1℃低くなるごとに273分の1ずっ体積が減っていくのであれば、マイナス
273℃になった時に気体の体積はゼロになってしまう。
つまり、マイナス273℃になれば、温度を測定する対象が存在しなくなる。だから、これ以
上低い温度はない」
この仮説は後に証明され、「絶対零度」はケルビンの頭文字をとって「K」で表すことになっ
た。
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★No-011
【 「雛祭り」の行事はなぜ3月3日に行うの???? 】
「五節句」の一つで、「桃の節句」「雛の節句」ともいわれる女の子の祭りが3月3日に行わ
れるのは、中国の「上巳の節句」(月の最初の巳の日。
3月3日に該当する。
月に3度巳の日がある場合は、上巳、中巳、下巳という)が起源とされているが、もともとは
からだについた穢れ落としの行事であった。
古代中国では、陰暦3月3日に水浴して祓いをする行事があった。
後に、3月の上巳の日に、桃の花が咲く水辺で杯を浮かべて酒を飲む風習として広まっ
た。
桃は、古くから魔除けの呪力があると考えられていたからだ。
これが持統天皇の時代に日本の朝廷に伝わり、平安時代になると3月3日に「曲水の宴」
と呼ばれる遊宴を行うことが定められた。
桃は別名三千代草ともいわれて雛祭りの供花として用いられ、この宴は「桃花の宴」とも
いわれた。
一方、古代日本では、一般の人々も、旧暦3月になると「浴」と呼ばれる水浴によって冬の
問の汚れを落とし、同時に身を清めていたという。
しかし平安時代に入って、3月はまだ寒いという理由によるものか、人問が直接水浴をす
ることはなくなり、かわってその年の穢れや禍いを人形に移して流す「流し雛」が流行し
た。
「雛」は、貴族の女の子たちが遊びに使った人形のことである。
やがて、この人形を起源とする「雛人形」が誕生すると、身を清めるという宗教的な意味合
いは次第に薄れて、美しい人形を室内に飾ってごちそうをいただく女の子のための祭りと
いう色合いが濃くなった。
江戸時代の元禄一17世紀末一頃から、3月3日には緋毛暁を敷いた段の上に人形を飾
り、菱餅、桃の花、白酒を供えてまつり、蛤のお吸い物をいただく行事として庶民の問に
広まった。
「飾ったお雛様を早くしまわないと、娘の結婚が遅れる」という迷信が誕生したのも、この
時期といわれる。穢れ落としの行事が江戸時代に女の子の節句になったのは、「雛人形」
のおかげということである。
講談社 +α文庫 「他人につい自慢したくなる”数”の雑学」 より
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